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about

SHOWKEN HIRASAKA 平坂彰謙
株式会社CAMELSTUDIO 代表取締役社長
1996年11月にCAMELSTUDIOを設立、PCや携帯・スマートフォンなどをプラットフォームに、サイトやコンテンツの企画制作を行なう。幼少時代からドラムを叩き続け、1994年に結成した爆笑系歌謡曲ロックバンド「ダイナマイトポップス」で現在も活動中。このサイトに参加してくれている面々は、公私問わず信頼する親友たちである。

あのひとこのひと”素顔”のおもいで/篠塚健次郎さん2009.08.10

篠塚健次郎。
モータースポーツ界では神様的存在のラリー・ドライバー。
かの有名な「パリ・ダカールラリー(パリダカ)」で何度も輝かしい成績を残し、「三菱自動車」「パジェロ」の代名詞にもなった無二の英雄。

「目に入れても痛くない」という表現がありますが、自分はといえば「ひかれても痛くない」ほどクルマが大好き。今から20年ほど前、そんな篠塚さんと会ってお話できるチャンスが巡ってきたのです。「30年生きてきた中で一番うれしい」…少なくとも水泳の岩崎恭子選手よりは説得力があります。

三菱自動車工業の会社案内に掲載する特集ページを作るため、当時東京・三田にあった本社で篠塚さんとお会いしました。

プロのラリー・ドライバーであるにもかかわらず、篠塚さんは三菱自工の正社員でした。いただいた名刺には「海外営業企画」という肩書きがついており、ようは立派なサラリーマン。

なんでも、毎年年末年始に行なわれる「パリ・ダカールラリー」は「フランス・アフリカ方面出張」だそうで。一応「出張手当」も出るが、優勝すると若干「特別手当」も出る、と。(若干、ってのがスゴい)

そのうち「予選は残業代が出る」とか「ダカールの給油所でガソリン代の領収書もらい忘れた」みたいな話まで出るのかと思ったくらい、少々思い描いていた世界観と違っていましたが、なにせあの「パリダカ」実話を篠塚さん本人から聞いているわけですから、彼の一言ひとことに「へー」とただ感心するばかりで。

一番印象に残っているのが、「自動車メーカーの社員ドライバー」という立場と、「レースでの走り方」の関係についてのお話。
「パリダカ」のような長距離で過酷なレースは、”速く走る”こと以上に”クルマを壊さない”ことが勝負の明暗を分けると言われていて、篠塚さんは事故率、故障率の極めて低いドライバーとしても高い評価を得ていました。そしてそれが、”一発当てたろか”というリスクはしょわないという、いい意味で”組織人”であることの「功」なのだと。
ものすごく説得力のある話として、ずーっと覚えています。

当時本社のショールームに飾ってあった篠塚さんのマシン(パリダカを実際に走ったパジェロ)を穴が開くほど眺め、無性に乗りたくなった自分は当然のようにパジェロを購入するわけですが、公道を「パリダカだー」と乱暴に走るくせがつきすぎて、あっちをぶつけ、こっちをぶつけ、1年足らずで手放しました。

もうひとつ、篠塚さんは三浦百恵(山口百恵)さんの義兄であることもよく知られています。

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誰でも簡単ドラム講座 VOL.1 「右手と左手をバラバラに動かす」2009.08.05

物心ついてから習得したことの中でも、「歯を磨く」「爪を切る」「部屋を片付ける」の次くらいにくるのが自分の場合は「ドラムを叩く」でした。「自転車に乗る」の次だったかもしれません。
タイガーウッズの「生後9ヶ月からゴルフを始めた」というのにはさすがに負けますが、フツーの方からすればかなり早い(というか、フツーはやらない)時期にマスターした特殊技術のひとつです。
よく「どうして手足があんなにバラバラに動くのか」とロシアのサーカス団員や「隠し芸大会」の堺正章みたいに言われることが多々ありますが、実はそれほど難しいものではありません。
おそらく「ドラムセット」というものが、自転車や野球のボール&バット、楽器ならばピアノやギターのように一般の家庭や施設に存在しないため、なかなか実際に触れたり試したりすることができない、というのが”難しそうに見える”最大の理由である気がします。
みなさんだってカラオケ屋でタンバリンやマラカスを叩いたり振ったりしたことがあるでしょう。酔っぱらうと特に熱が入ったりしますが。アレと基本的には全く一緒。
それをちょっと複雑にして進化させたのが「ドラムセット」で、ちょっと練習すれば、誰でも簡単に演奏することができるんです。
もちろんそれには、ゴルフや他のスポーツでもよく言われるように、「基礎」をちょびっと学ぶ必要があります。そして、それを身につけるための「繰り返しトレーニング」がとても有効なんですね。
ということで、これから数回にわたり、誰にでも簡単にできるドラム講座を。
第一回目は、「右手と左手をバラバラに動かす」トレーニングです。
図をご覧ください。
まず、机の前に、左右の人差し指を並べて置きます。●は机を「トン」と1回叩くことを意味します。そして「左の人差し指」は左と右の2カ所(間隔はテキトーで構いません)、「右の人差し指」は左、中、右の3カ所を、『左の指、右の指を同時に』叩かなくてはなりません。
左の指は「左、右」の順に、右の指は「左、中、右」の順に動かすわけですが、最初の①と②は動きが全く一緒で実に簡単。問題は③以降です。
③では左の指を「左」に持っていかなくてはならないのに、右の指はさらに「右」に行かねばなりません。
両手を気にしながら、そして考えながらやろうとすると、なかなかうまくいきませんね。
コツは、どちらかの指の動きを「無意識」にしてしまうこと。そうすると、やっているうちにどちらも無意識に動くようになります。左の動きは”左指くん”に任せ、右の動きは”右指くん”に任せるわけです。仕事と一緒で、パートナーを信じるとうまく行く。そんな感じです。
ぜひやってみてください。

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あのひとこのひと”素顔”のおもいで/泉麻人さん2009.07.31

トムクルーズが自作自演した映画「ミッション:インポッシブル(Mission:Impossible)」。これは1960年代にアメリカで放映されていたテレビドラマ「スパイ大作戦(原題は同じく”Mission:Impossible”)」の映画化であることは、ご存知の方も多いと思います。

アメリカの極秘スパイ組織IMF(Impossible Mission Force)…つまり、不可能な使命を帯びたプロたちがそれを成し遂げるという筋の、ある意味では「24」の原型みたいなドラマが元ネタだったんですね。

1988年ごろだったと思います。当時とある人材系広告会社に勤めていた自分が担当していた企業に「新日経」というアルミ材のメーカーさんがありました。
今思えばバブル絶頂期のころ、就職を控えた学生に「新日軽をよろしく」という告知をすべく豪華なパンフレットを企画せよという命が下り、さんざん悩んだ末、「不可能な使命に挑戦する会社・新日軽!」というテーマで一冊作っちまえ!という結論に。

タイトルはこれです。「不可能を可能にする会社−新日軽を考える!」

ただ企業の情報ばかり載せても学生の興味を惹くことはできません。
巻頭で学生にも人気のある有名人に登場してもらい、何かを印象づけなければ。
そこで「そうだ、あの”スパイ大作戦”をネタに、不可能を可能にするという企業イメージを上手に引きずり出そう」…
白羽の矢は、すでに当時昭和のB級ものなどを扱うコラムニストとして人気を博していた泉麻人さんに。

代官山にあるマンションの一室、多忙を極めていた泉さんへのインタビューが実現しました。

さすが泉さん、「B4判見開き」という制作側からすると太平洋の数十倍も広い面積を埋め尽くすだけの話題をふんだんに語ってもらい、学生の目を引く魅力的なページを作ることができました。(”スパイ大作戦”については自分のほうが詳しかった、というのが複雑な心境でしたが)

3万部ほど印刷し、大学生に配布し終わって3ヶ月ほどしたある日、ご依頼主である新日軽の人事担当者から電話がありました。
「あのね、今さらなんですけど、前に作ってもらったあれ、表紙のタイトルが”不可能を可能にする会社−新日<鉄>を考える!”になってたんですけど」

受け取った学生のひとりが電話で教えてくれたそうです。

はあ???

なわけねえだろ、あわてて引き出しから取り出した見本誌を眺めること数十秒…タイトルには超デカい字で「新日<鉄>を考える!」−−−

このような間違い、普通はしませんね。不可能です。

「あまりにもデカい字で自信満々に書かれると、誰も疑わないのでしょう。”灯台下暗し”ですよ。」
本来怒鳴り込まれても不思議でないご依頼主から、慰めの言葉すらもらったりして。

…その年、新日軽は空前の新卒採用「大成功」を収めました。

Mission:Impossible … 泉麻人さん、あなたのおかげです。

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太平洋奇跡の作戦 キスカ2009.07.28

軍事関係は本も読みましたが、映画も漁るように見ました。中でも秀逸なのが、この「太平洋奇跡の作戦 キスカ」であります。
たぶん「どんな内容か」「どこが面白いのか」というのを書き出すとトンデモない長さになりそうなのでやめときます。
「キスカ」とは太平洋の北側に位置するアリューシャン列島に実在する島の名前。昆虫怪獣や殺虫剤みたいな名前ですが、違います。
主役はあの三船敏郎さんですよ。脇役に加山雄三さんも出てきます。ちなみに女性はほとんど出てきません。
しかし、映画界の定説として、「男しか出ていない映画に駄作無し」というのがあるそうです(故・淀川長治先生の名言とか)。
敗戦に向かって悲惨な一途をたどる太平洋戦争の中で、現場の指揮官がとった人道的かつ頭脳的な作戦が成功するという史実に基づいたストーリーで、それほどカネをかけたという感じがしないにもかかわらず、何度観ても実に感動します。
おそらく「事実である」という、よくできたハリウッド映画にありがちな「どうせ作り物だから」的なものと正反対な、”重み”からくる迫力と説得力。
そして誰がどう見ても「わからずや」ばかり、もっと言えば自分の立場やメンツのことにしか頭にない軍の幹部(んー、今の日本も実は変わってないか!?)に中にあって、正義と正論を貫き成功させるという、こちらもハンパな監督や脚本家ではなかなか演出できない「スカッと爽快感」。
観る人によって感じ方も違うとは思いますが、このへんに、この映画のスゴさがあると自分は思います。
まあ結局戦争は本件と全く関係なく負けちゃうんですけどね。
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あのひとこのひと”素顔”のおもいで/デーモン小暮閣下2009.07.22

「Mac’n Roll Night(マックンロールナイト)」ってご存知ですか?
1990年代に行なわれていた Apple Macintshを盛り上げようという主旨のイベントで、コンピュータ業界のいろんなアマチュアバンドにプロミュージシャンが加わってライブ演奏をするという、言ってみればただそれだけの催しです。

1998年3月赤坂BLITZでになわれた「Mac’n Roll Night V」に、自分もなぜかドラマーとして出演しました。それは「MAC Fan」滝口編集長(当時)を中心とするバンドで、ヴォーカルには「カロゴンズ(篠原ともえ+ユースケサンタマリア)」。

まあそれはいいとして、バンドは全部で10くらいありましたでしょうか。そして、バンドの数だけ「ゲスト」もいらっしゃるわけですね。

鮎川誠さん、井上堯之さん、小比類巻かほるさん、サエキけんぞうさん…
そうそうたる面々の中で唯一会話を交わすことができたのが、デーモン小暮閣下でした。

彼は確か「Deeo Purple」のようなハードロックを演奏するバンド(…Deep Appleとかいう名前だった気がする)で登場し、ちょっと歌っては楽屋に戻って着替え、また登場してちょっと歌っては着替え、と、10分くらいの間に7〜8回着替えておりました(よく考えると意味不明)。

演奏が終了すると、丁度ステージの袖にいた自分のところに閣下が。
「おつかれさまです!」と声をかけてみました。
「あ、おつかれさまでした」とても丁寧に返事をしてくださり。
「どうでした?」と問いかけたところ、
「ものすげー疲れた」とお答えになられ。

なんかいい人だなあ…元から好きでしたが、もっと彼を好きになりました。

実は彼とは他にも因縁があり(学生時代に同じロックバンドコンテストに出ていたりとか)、彼の素顔(曰く、仮の姿)を見たことのある後輩から、「”仮の姿”は、ひらさかさんに似てました」と言われたことがあります。微妙です。
そういえば、彼がまだ早稲田大学の学生であった頃、「聖飢魔II」として日本青年館のステージに立って「悪魔組曲」を演奏した時のビデオがなぜか家にありますが、これは今や相当な”お宝”でしょう。
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