- SHOWKEN HIRASAKA 平坂彰謙
株式会社CAMELSTUDIO 代表取締役社長
- 1996年11月にCAMELSTUDIOを設立、PCや携帯・スマートフォンなどをプラットフォームに、サイトやコンテンツの企画制作を行なう。幼少時代からドラムを叩き続け、1994年に結成した爆笑系歌謡曲ロックバンド「ダイナマイトポップス」で現在も活動中。このサイトに参加してくれている面々は、公私問わず信頼する親友たちである。
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あのひとこのひと”素顔”のおもいで/泉麻人さん2009.07.31
トムクルーズが自作自演した映画「ミッション:インポッシブル(Mission:Impossible)」。これは1960年代にアメリカで放映されていたテレビドラマ「スパイ大作戦(原題は同じく”Mission:Impossible”)」の映画化であることは、ご存知の方も多いと思います。
アメリカの極秘スパイ組織IMF(Impossible Mission Force)…つまり、不可能な使命を帯びたプロたちがそれを成し遂げるという筋の、ある意味では「24」の原型みたいなドラマが元ネタだったんですね。
1988年ごろだったと思います。当時とある人材系広告会社に勤めていた自分が担当していた企業に「新日経」というアルミ材のメーカーさんがありました。
今思えばバブル絶頂期のころ、就職を控えた学生に「新日軽をよろしく」という告知をすべく豪華なパンフレットを企画せよという命が下り、さんざん悩んだ末、「不可能な使命に挑戦する会社・新日軽!」というテーマで一冊作っちまえ!という結論に。
タイトルはこれです。「不可能を可能にする会社−新日軽を考える!」
ただ企業の情報ばかり載せても学生の興味を惹くことはできません。
巻頭で学生にも人気のある有名人に登場してもらい、何かを印象づけなければ。
そこで「そうだ、あの”スパイ大作戦”をネタに、不可能を可能にするという企業イメージを上手に引きずり出そう」…
白羽の矢は、すでに当時昭和のB級ものなどを扱うコラムニストとして人気を博していた泉麻人さんに。
代官山にあるマンションの一室、多忙を極めていた泉さんへのインタビューが実現しました。
さすが泉さん、「B4判見開き」という制作側からすると太平洋の数十倍も広い面積を埋め尽くすだけの話題をふんだんに語ってもらい、学生の目を引く魅力的なページを作ることができました。(”スパイ大作戦”については自分のほうが詳しかった、というのが複雑な心境でしたが)
3万部ほど印刷し、大学生に配布し終わって3ヶ月ほどしたある日、ご依頼主である新日軽の人事担当者から電話がありました。
「あのね、今さらなんですけど、前に作ってもらったあれ、表紙のタイトルが”不可能を可能にする会社−新日<鉄>を考える!”になってたんですけど」
受け取った学生のひとりが電話で教えてくれたそうです。
はあ???
なわけねえだろ、あわてて引き出しから取り出した見本誌を眺めること数十秒…タイトルには超デカい字で「新日<鉄>を考える!」−−−
このような間違い、普通はしませんね。不可能です。
「あまりにもデカい字で自信満々に書かれると、誰も疑わないのでしょう。”灯台下暗し”ですよ。」
本来怒鳴り込まれても不思議でないご依頼主から、慰めの言葉すらもらったりして。
…その年、新日軽は空前の新卒採用「大成功」を収めました。
Mission:Impossible … 泉麻人さん、あなたのおかげです。
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太平洋奇跡の作戦 キスカ2009.07.28
軍事関係は本も読みましたが、映画も漁るように見ました。中でも秀逸なのが、この「太平洋奇跡の作戦 キスカ」であります。
たぶん「どんな内容か」「どこが面白いのか」というのを書き出すとトンデモない長さになりそうなのでやめときます。
「キスカ」とは太平洋の北側に位置するアリューシャン列島に実在する島の名前。昆虫怪獣や殺虫剤みたいな名前ですが、違います。
主役はあの三船敏郎さんですよ。脇役に加山雄三さんも出てきます。ちなみに女性はほとんど出てきません。
しかし、映画界の定説として、「男しか出ていない映画に駄作無し」というのがあるそうです(故・淀川長治先生の名言とか)。
敗戦に向かって悲惨な一途をたどる太平洋戦争の中で、現場の指揮官がとった人道的かつ頭脳的な作戦が成功するという史実に基づいたストーリーで、それほどカネをかけたという感じがしないにもかかわらず、何度観ても実に感動します。
おそらく「事実である」という、よくできたハリウッド映画にありがちな「どうせ作り物だから」的なものと正反対な、”重み”からくる迫力と説得力。
そして誰がどう見ても「わからずや」ばかり、もっと言えば自分の立場やメンツのことにしか頭にない軍の幹部(んー、今の日本も実は変わってないか!?)に中にあって、正義と正論を貫き成功させるという、こちらもハンパな監督や脚本家ではなかなか演出できない「スカッと爽快感」。
観る人によって感じ方も違うとは思いますが、このへんに、この映画のスゴさがあると自分は思います。
まあ結局戦争は本件と全く関係なく負けちゃうんですけどね。
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あのひとこのひと”素顔”のおもいで/デーモン小暮閣下2009.07.22
「Mac’n Roll Night(マックンロールナイト)」ってご存知ですか?
1990年代に行なわれていた Apple Macintshを盛り上げようという主旨のイベントで、コンピュータ業界のいろんなアマチュアバンドにプロミュージシャンが加わってライブ演奏をするという、言ってみればただそれだけの催しです。
1998年3月赤坂BLITZでになわれた「Mac’n Roll Night V」に、自分もなぜかドラマーとして出演しました。それは「MAC Fan」滝口編集長(当時)を中心とするバンドで、ヴォーカルには「カロゴンズ(篠原ともえ+ユースケサンタマリア)」。
まあそれはいいとして、バンドは全部で10くらいありましたでしょうか。そして、バンドの数だけ「ゲスト」もいらっしゃるわけですね。
鮎川誠さん、井上堯之さん、小比類巻かほるさん、サエキけんぞうさん…
そうそうたる面々の中で唯一会話を交わすことができたのが、デーモン小暮閣下でした。
彼は確か「Deeo Purple」のようなハードロックを演奏するバンド(…Deep Appleとかいう名前だった気がする)で登場し、ちょっと歌っては楽屋に戻って着替え、また登場してちょっと歌っては着替え、と、10分くらいの間に7〜8回着替えておりました(よく考えると意味不明)。
演奏が終了すると、丁度ステージの袖にいた自分のところに閣下が。
「おつかれさまです!」と声をかけてみました。
「あ、おつかれさまでした」とても丁寧に返事をしてくださり。
「どうでした?」と問いかけたところ、
「ものすげー疲れた」とお答えになられ。
なんかいい人だなあ…元から好きでしたが、もっと彼を好きになりました。
実は彼とは他にも因縁があり(学生時代に同じロックバンドコンテストに出ていたりとか)、彼の素顔(曰く、仮の姿)を見たことのある後輩から、「”仮の姿”は、ひらさかさんに似てました」と言われたことがあります。微妙です。
そういえば、彼がまだ早稲田大学の学生であった頃、「聖飢魔II」として日本青年館のステージに立って「悪魔組曲」を演奏した時のビデオがなぜか家にありますが、これは今や相当な”お宝”でしょう。
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あのひとこのひと”素顔”のおもいで/泰葉さん2009.07.15
「金髪豚野郎」「ドタキャン」「ハッスル」…などでここ数年お騒がせな感じの泰葉さんですが、今から27年ほど前の1982年、当時20歳そこそこであった彼女とふたりきりでお話をした時ことを、先日ふと思い出しました。
社会人2年目の自分が当時メインでやっていた仕事(某音楽学校の広告制作)の取材で、泰葉さんのインタビューをすることに。
場所はフジテレビジョン − まだ台場に移る前(都営新宿線曙橋駅ちかく)の、ネンキの入ったややお役所っぽい雰囲気の社員食堂でした。
ずいぶんと昔から林家三平師匠の大ファンであった自分としては当然”大事件”なわけで、それはそれは前々日あたりから歩く時に手と足が交互でなく一緒に動いてしまうくらい緊張していました。
業界用語と、派手な衣装と、カレーや煮魚の匂いが飛び交う雑然とした食堂で待つこと15分、そこに泰葉さんは笑顔で現れたのであります。
「はじめまして」から始まって自己紹介、世間話、……ニコニコしながら、そして瞳の奥まで刺さるほど目を見てお話をされる泰葉さん。
知的でお茶目。しかも我が尊敬する三平師匠のご令嬢! 確か自分よりも2つ3つ若いはずなのに、なんだこのオーラは!なんだこの女神さまのような気高さ・尊大さは!
あっという間に”大ファン”の対象は父親から娘に変わりました。
確か、これから音楽業界を目指す若者に対してメッセージを、というテーマで話をしようとしながらモゴモゴと要領を得ない質問を投げかける自分に、「あ、それはこういうことを聞きたいのよね」と、こちらの意図を瞬時に察して、模範解答を返してくれる…優しい人だなあ、感じのいい人だなあ、頭のいい人だなあ、などとただただ感心しまくった1時間でした。
歌手として、ミュージシャンとして活動を始めて間もなかった泰葉さん。デビュー曲の自作「フライディ・チャイナタウン」は今でも時々テレビなどで歌われたりもしますが、もともと音楽家志望であった彼女です。とても生き生きしていて、楽しそうでした。
落語家の女房ではなくて、ずっと音楽アーティストでいればよかったのに。
ここ最近の言動や態度でいささか”賛否両論”なところもありますが、そんな経験をしたこともあって、自分はいつでも泰葉さんには”賛”なのです。
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パナマ運河を破壊せよ 著:檜山良昭2009.07.05
「航空母艦」というのは、もともと飛行機を離発着させる場所(滑走路ですね)を船の上に作っちまえ、という発想から生まれたもので、ようは海の上の空港なわけですね。そうすれば遠く離れた敵地に航続距離の短い戦闘機でも参戦させることができる、とかいろいろ利点があるわけです。戦争の主役が戦艦から航空機に移った第二次世界大戦ごろから重要な兵器として注目されるようになりました。
このあたりに興味があって(言っておきますが、決して戦争が好きなわけではなく、あくまでも軍事という概念における戦略・戦術というものがビジネスにも通ずるものが多く、仕事に役立つことが多々あるからであります)、いろいろな書物を読みあさりましたが、航空母艦まわりで最も「へー」と思ったのが「潜水空母」というシロモノ。
航空母艦は当然海の上を移動しますが、「潜水空母」とは敵に見つからないように飛行機を積んだまま海底に潜らせる…つまり潜水艦にしちまおう、という超クレイジーな発想から生まれた兵器です。もともと日本軍が考案したものらしく、日本本土から海底をズンズン行って、パナマ運河でアメリカ軍を叩こうという作戦をマジで考えていたそうで。完成する間もなく戦争は終わり、試作艦はアメリカに没収されたと言われています。
潜水空母という発想は、飛行機を積んだ潜水艦というだけでなく、何ヶ月も海に潜ったまま航海する、という点が後に評価されました。普通の潜水艦では到底パナマまで潜ったまま行けるはずがなく、それだけの燃料を積めるというのが大前提だったわけですね。実はここから「原子力潜水艦」というアイディアが生まれたそうで、それもまた驚きです。
さて、この「パナマ運河を破壊せよ」という小説は、「もし日本がこのバカげた兵器を完成させて、ホントにパナマ運河を攻めに行ったら」という、いわゆるイフ・フィクション戦記であります。
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