「金髪豚野郎」「ドタキャン」「ハッスル」…などでここ数年お騒がせな感じの泰葉さんですが、今から27年ほど前の1982年、当時20歳そこそこであった彼女とふたりきりでお話をした時ことを、先日ふと思い出しました。
社会人2年目の自分が当時メインでやっていた仕事(某音楽学校の広告制作)の取材で、泰葉さんのインタビューをすることに。
場所はフジテレビジョン − まだ台場に移る前(都営新宿線曙橋駅ちかく)の、ネンキの入ったややお役所っぽい雰囲気の社員食堂でした。
ずいぶんと昔から林家三平師匠の大ファンであった自分としては当然”大事件”なわけで、それはそれは前々日あたりから歩く時に手と足が交互でなく一緒に動いてしまうくらい緊張していました。
業界用語と、派手な衣装と、カレーや煮魚の匂いが飛び交う雑然とした食堂で待つこと15分、そこに泰葉さんは笑顔で現れたのであります。
「はじめまして」から始まって自己紹介、世間話、……ニコニコしながら、そして瞳の奥まで刺さるほど目を見てお話をされる泰葉さん。
知的でお茶目。しかも我が尊敬する三平師匠のご令嬢! 確か自分よりも2つ3つ若いはずなのに、なんだこのオーラは!なんだこの女神さまのような気高さ・尊大さは!
あっという間に”大ファン”の対象は父親から娘に変わりました。
確か、これから音楽業界を目指す若者に対してメッセージを、というテーマで話をしようとしながらモゴモゴと要領を得ない質問を投げかける自分に、「あ、それはこういうことを聞きたいのよね」と、こちらの意図を瞬時に察して、模範解答を返してくれる…優しい人だなあ、感じのいい人だなあ、頭のいい人だなあ、などとただただ感心しまくった1時間でした。
歌手として、ミュージシャンとして活動を始めて間もなかった泰葉さん。デビュー曲の自作「フライディ・チャイナタウン」は今でも時々テレビなどで歌われたりもしますが、もともと音楽家志望であった彼女です。とても生き生きしていて、楽しそうでした。
落語家の女房ではなくて、ずっと音楽アーティストでいればよかったのに。
ここ最近の言動や態度でいささか”賛否両論”なところもありますが、そんな経験をしたこともあって、自分はいつでも泰葉さんには”賛”なのです。
POSTED BY:
Showken Hirasaka
Camelstudio Co., Ltd.
このページのトラックバックURL
トラックバック一覧
このページへのコメント一覧
コメントを投稿
(初めて投稿される方のコメントは管理者の承認が必要となります。ご了承ください。)