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about

TAKASHI IKEGAMI 池上隆士
株式会社東北新社 プロデューサー
広告制作・セールスプロモーションのプロデューサーとして幾つかのプロダクションを渡り、ほとんどの業界の仕事を経験したプロフェッショナル。
また、幼少から映画や漫画の影響を強く受けて育っているコンテンツ好き。 最近は「のだめカンタービレ」に感銘を受けて、ピアノを習い始めた。

「アバター」と映画の進化2010.04.08

「タイタニック」が持っていた興行記録をあっさりと塗り替えた「アバター」。
近くのワーナー・マイカルではまだ上映しています。
自分は比較的早めに3Dで観ましたが、良く出来ていると思いましたね。

興行収入記録だけで映画の良し悪しが決まるものではないし、
映画通の方に言わせるとストーリー的には微妙な評価が多い「アバター」だけど、
舞台として描かれたパンドラは素晴らしい別世界に思えて、
私は映像の出来映えに素直に驚いた。
3Dは「飛び出す」ようなキワモノではなく、大きく豊かなパンドラの自然に
ナチュラルな奥行と風格を与えているように感じました。
未だ観ていない人には、体験という意味でも3D版を絶対にオススメします。

3Dに関して、ちょっとマニアックな話ですが、
実はときどき3Dメガネを外して確認していましたが、
字幕が付けられている場所(奥行の階層)もカットごとに変えてありました。
つまり字幕にも3D用の演出がなされている訳です。
基本はかなり手前の階層に字幕を置いていますが、
室内などの近景で多階層に渡る奥行を持つシーンでは少し画面が見づらかった。
その辺りはまだまだ研究&改良の余地ありだと思います。
また、知識として知っておくべきは、劇場によって3Dの映写方式が異なること。
XpanDといわれる方式はスクリーンが極端に暗く、そこで観た方は不幸です。
ワーナーなどが使用するRealDがオーソドックスで、
Dolby 3Dが最もオススメだけど、まだ上映館が少ないようですね。

ともあれ、驚異的な映像という意味では、確実にひとつのエポックを作ったと思います。
自分の映画史には、同じような映像体験が何度かありました。

1968年「2001年」スタンリー・キューブリック
1980年「帝国の逆襲」ジョージ・ルーカス
1993年「ジュラシック・パーク」スティーブン・スピルバーグ

こうして並べると「アバター」のジェームズ・キャメロンも含めて
時代を担った監督たちの作品ということが共通している。
「帝国の逆襲」は正確にはアーヴィン・カーシュナーという人が監督だけど、
ルーカスと言って問題ないでしょう。
先端を行く方々は映画の進歩を技術の進歩としても捉えていたのだと思う。
それぞれの製作年度を観ると、映像表現が飛躍的に進歩するタイミングって、
10数年ごとに来るようです。
この次、純粋に映像に驚かされるのは2025年くらいか…。
ん? 私は何歳だ?

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TAKASHI IKEGAMI/池上隆士
株式会社東北新社 プロデューサー

リドリー・スコットとSF映画2009.12.04

一番怖かった映画は、と聞かれたら迷わず「エイリアン」と答えている。
怖さから席を立って逃げ出したくなった映画は、後にも先にもこれだけです。
どこから襲ってくるか分からないエイリアンに筋肉を強張らせて緊張し、
宇宙船の乗組員と一緒に神経をすり減らしてぐったりしました。
劇場を出たときには、命の危険から無事に生還したような安堵感さえ覚えましたね。

この映画の監督は今では巨匠扱いのリドリー・スコット。
イギリスのCM出身の映像作家で「エイリアン」は監督2作目でした。
この人の3作目が「ブレードランナー」。
こちらは弱っちいハリソン・フォードに不満が残った微妙な映画だったが、
何だか気になる映画でもあり、レンタルやテレビ放送の録画を何度も見返して
新しい発見を繰り返し、今では自分の映画史でベスト10に入っている。

個人ランキングで恐縮だけど「エイリアン」もベスト10にランクインしている。
同じ監督でベスト10に2作以上入っているのは彼と黒澤明だけであり、
SFというジャンルでは現状この2作だけだ。

一時期この2作を形容する際は、
ちょっと陳腐だけど「完璧なSF映画」という言葉を使っていました。
そのココロは嘘のつき方にある。
持論だけどSF映画で大切なことはサイエンスとフィクションのバランス。
それらしい大嘘(フィクション)をひとつ捻り出して、
それ以外の描写は極力リアル(サイエンス)を追求することだと思っている。
効果的に使われるのであれば、嘘はひとつで充分。
このリドリー・スコットの初期の2作品にはそれが徹底されている。
「エイリアン」の嘘はエイリアンの存在。
「ブレードランナー」ではレプリカントの存在。
その嘘以外は、それらしく世界観を整えることに腐心している様が良く分かる。
結果は映画の見応えとして跳ね返って来ます。
黒い石版で嘘をついている古典的SF映画にもこの理屈は当てはまりますね。

SFという言葉を免罪符と勘違いして、
ぐたぐだと適当な嘘を並べ立てる映画はSFと呼びたくない。
「スター・ウォーズ」などは好例で、あれは宇宙を舞台にしたファンタジーですね。
その意味で、リドリー・スコットはツボを心得た創り方をしてたと思います。

最近のSFと言われる映画の大半は内容がスカスカ。
理由はCG技術の進歩によるスペクタクル表現に偏重しているからでしょう。
硬質で上手く騙してくれるSF映画が観たいと思うこの頃です。

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TAKASHI IKEGAMI/池上隆士
株式会社東北新社 プロデューサー

東宝チャンピオンまつりの功罪2009.09.30

自分が好きだった映画や漫画など、
主に視覚コンテンツのことを書きたいと思います。
初回のテーマは「ゴジラ」です。

ゴジラが登場した1954年から1975年までの約20年間に
15本のゴジラ映画が作られた。
後のシリーズと区別する意味で、
一般に昭和ゴジラシリーズと呼ばれている。

自分は小学生の頃に、東宝チャンピオンまつりという
数本立ての子供向けオムニバスの中の一作品として初めてゴジラに接した。
東宝チャンピオンまつりは、春や夏の子供集客企画で、
毎回ゴジラ映画の新作を上映する訳ではなく、過去作品の再映で体裁を作っていた。
自分が親に連れられ初めて東宝チャンピオンンまつりを訪れたのは1970年。
その際のゴジラ映画は「キングコング対ゴジラ」だった。
子供心を鷲づかみにされた熱烈なゴジラファンが一人誕生した。
その後「モスラ対ゴジラ」「怪獣大戦争」でゴジラ熱は高まって行く。

その3作は1962年から65年にかけて製作された作品で、
自分はロードショー公開から5年~8年後に劇場で観たことになる。
公開1年以内のレンタル流通が当たり前になった現代では考えられないことだ。
でもこれは、結果として幸運だったと思っている。
初期のゴジラ映画は日本独自の怪獣映画というジャンルを確立した秀作が多く、
自分はその初期の作品を心待ちにして劇場で観たからこそ、
由緒正しい(?)ゴジラファンになったと断言できるからだ。

概して昭和ゴジラシリーズは後半に行くほどダメダメである。
1972年に新作として公開された「ゴジラ対ガイガン」などを見直すと、
その手抜きと質の劣化が明らかで「子供だまし」という形容がピッタリとはまり、
続く「ゴジラ対メガロ」などはテレビドラマ以下の寒い笑いに満ちた作品だ。
データを手にしている訳ではないが、東宝チャンピオンまつりの興行的成功が
ゴジラ映画を完全な子供向けに方向転換させたことは明確だろう。

シリーズものを続けるのは難しい。
新しい魅力を提供し続けない限り客足は遠のいて行く。
回を重ねるごとに、ゴジラは擬人化して行った。
人類の味方になり、空を飛んで、プロレスまでやった。よく15作も続いたと思う。
ただ、内容がどんどんと幼稚になって行ったことは、
本当に正しい方向性だったのか?
子供の鑑賞視点はそんなに低いのか?
少なくとも小学生の自分は、人類や子供の味方のゴジラよりも
モスラと戦っている悪役ゴジラの方が強そうで凛々しくて好きだった。

そんなことを反省したのか、ゴジラは1984年に復活して悪役を演じるが、
こちらは違った意味で微妙なシリーズとなった。
それについてはまた別の機会に…。

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TAKASHI IKEGAMI/池上隆士
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