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AKIRA OKAJIMA 岡島朗
有限会社楽脳 取締役
某大手コンピュータ関連出版社で編集者として活躍、のちに映像企画制作・テレビ番組制作などを主たる事業とする「楽脳(らくのう)」を石井忍氏とともに設立。パソコン、インターネット、テレビ、芸能と守備範囲は広いが、特に映画関連の業務が多いこともあり映画に造詣が深い。

「ミリキタニの猫」2012.11.22

日系二世の画家、ジミー・ツトム・ミリキタニ氏の後半生を追ったドキュメンタリー映画です。
「ミリキタニ」というのは本名で、日本語では「三力谷」と書きます。
この画家は、ニューヨークの路上で絵を描いていました。
彼の作品を購入した女性映像作家リンダ・ハッテンドーフと出会って、彼女に「自分を撮影してくれ」と頼んだことから、この作品は生まれるのですが、2001年のことで、ジミー・ミリキタニは81歳になっていました。

彼が何枚も描いた風景は、ツールレイクと呼ばれる場所で、第二次大戦中に日系人の強制収容所があった場所です。
彼も、そこに収容されていました。
最初、リンダは、この絵に描かれた場所は彼の空想ではないかと思っていますが、彼の話のあまりの精緻さに、徐々にアメリカの”隠された”歴史を知ることとなります。

この作品の見どころは、なんといってもジミー・ミリキタニ氏の破天荒ながら憎めないキャラクターと、彼が描く鮮烈な作品にあります。
絵を買わずに施しをしようとする人には厳しい言葉でそれを拒み、コマーシャルアートにも忌憚なく手厳しいコメントをぶちまけます。
この映画作品のポスターでは、よく”反骨の画家”と書かれています。
リンダと出会ったころ、彼はホームレス同然になっていましたが、アメリカの社会保障は受けたくないといって、施設に入ることを頑に拒否。
そして撮影がはじまって数ヶ月後に、9.11が起きます。
WTSが崩壊しているときも、彼はいつも通り路上で絵を描いています。
心配したリンダは、一時的に自宅に彼を迎え入れます。
リンダ宅でも精力的に作品を作り続ける彼は、やがて戦争のことや自分が辿ってきた人生を彼女に語りはじめるのです。

2012年10月にジミー・ミリキタニは亡くなりますが、彼の作品はリンダの映像を通じて多くの人に感銘を与え、いまでは幸運なことに大きな評価を得ることになります。
「僕はアーティストだから、人の心の内がわかるんだ」と話すジミー・ミリキタニ。
彼に惹き付けら巻き込まれた人々は、いつの間にか大きなセカイの扉を開けている、そんな不思議で魅力的な作品です。

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AKIRA OKAJIMA/岡島朗
有限会社楽脳 取締役