競馬を愛するものならば、
必ず1頭は「この馬!」というサラブレッドがいるはず。
僕を夢中にさせてくれた名馬のコト。
トウカイテイオー。
父は昭和の皇帝シンボリルドルフ。
その圧倒的強さと狂気は人々を魅了した。
「皇帝」の息子の「帝王」、トウカイテイオーが登場する少し前は、
バブル経済と共にオグリキャップが競馬ブームを牽引していた。
そのオグリキャップが引退を決めた1990年12月、
トウカイテイオーはデビューした。
まさしく、競馬ファン(競馬関係者もだろう)が求めていた
「次のスターホース」の第一歩だった。
どの世界でも、スターになるものは「何かが違う」と人々に感じさせるものだと思う。
まずトウカイテイオーが人々を惹きつけたのは容姿であった。
ちょっと古い表現だが、巨人の星の花形満のようなヒラリとなびく前髪。
僕が競走馬で「かっこいい髪型だなぁ」と感じたのはトウカイテイオーと、
1993年のジャパンカップに登場してパーマをかけていた?コタシャーンの2頭だけだ。
そしてもうひとつは体つき。そのコタシャーンとの比較が顕著な例だが、
コタシャーンは筋肉隆々の超マッチョ。
90年代以後は日本でも欧米血統の流入によるサラブレッドの大型化が進んだが、
トウカイテイオーの現役時代は460キロから470キロほどの中肉中背な、しなやかな体つきで、
全体を大きく使ったストライド(走法)で走る「美しく見せる馬」だった。
僕はそのルックスの虜になった。
今思えば、その強さを信じる気持ちに僕自身がイレコミ気味
(=競馬用語で気合が乗りすぎの意)だったのかもしれない。
しかしそれはこちらも若いゆえ、仕方のないことだった。
彼がデビューから3戦目を迎えた若駒ステークスを勝利した時、
「今年のダービーはテイオーと心中だ」と心に決めた。
そこから3ヶ月、肉体労働系のアルバイトをして40万円を貯金した。
僕や周囲の期待どおりに、彼はその後の2戦も順当に勝利した。
牡馬クラシック3冠の第一弾の皐月賞も1番人気に応えて快勝する。
そして1991年5月26日、第58回日本ダービー当日、
トウカイテイオーは単勝オッズ1.6倍の圧倒的人気に支持されていた。
後楽園WINSの窓口で枠連(当時は馬連や馬単など無かった)
5-8を33万円、6-8を7万円買った。
なぜ本線に33万円なのかというと、当時の僕にはささやかな夢があったのだ。
まだ経験したことのなかった「帯つきの払戻し」を実現する為だ。
すなわち、100万円の束を払戻しでいただくということだ。
5-8のオッズから「33万円買っておけば配当は100万円以上だな」と考えて買ったのだ。
そしてレースを見たのだが、その時のことを思い出そうとしても思い出せない。
思い出せるのは、東京競馬場の直線で先頭に立ったトウカイテイオーの姿に釘付けの自分だけなのだ。
何だかんだ言ってもビビッっていたのだろう。まあ身分的には小銭では無かったのだし。
結果は、1着トウカイテイオー、2着レオダーバン。
枠連5-8 払戻350円で「帯つきの払戻し」の夢は叶った。
そしてこのささやかな夢は若造の僕の自信になり、もうひとつの夢を叶えてくれた。
この馬券のコピーとレポートを持って、
知り合いのつてで競馬雑誌の編集者に自分を売り込み、ラッキーなことに、
そこから念願であった競馬ライターの仕事の第一歩が始まったのだ。
後に、今は亡き競馬予想の大御所にも取材でお会いし、この勝負のことを話したのだが、
「私は小額馬券しか買わない。そんなことをしていると身を滅ぼすよ。」と言われ、
心の中で幻滅したのを覚えている。
『あなたはあたかも大勝負をしているイメージを世に伝えているのに』と。
そして、このことが虚像と真実の間にある広告への興味を持つきっかけになったのだから、
トウカイテイオーに出会ったことが、僕の人生の選択に大きな影響を与えてくれたということだろう。
現役時に3度の骨折を経験し、人気を落としても期待を裏切らない、
格好よくて頼もしい馬だった。
去る11月7日8日と、東京競馬場にトウカイテイオーが凱旋した。
残念ながら見に行けなかったが、彼は今も多くのファンに愛されている。
そして僕を含めた彼のファンは彼の産駒が3歳クラシックレースを制する日を待ち続けている。
もしも産駒から新星が登場したら、愛称は最近流行の「王子さま」だろうか。