個々人の価値観が尊重され、自由であることが、メンタリティにおいても、また社会の構造や制度においても基本となる成熟社会が、同時に人々の存在がバラバラになり「自己責任」という言葉に象徴される孤独と疎外の高ストレス社会である、ということは、考えてみれば当たり前のことでしょう。
で、スポーツは、このような社会の、どの問題をどのように解決できるのでしょうか。このことはすでに以下の通り、第2回「スポーツとは何か」で書いております。
「人々はスポーツに触れることで人間の本質である動物性と知性の両方をその根底において刺激され、情動が活性化し、非日常の快楽=感動を得ることができる。このいわば社会的な記号を脱ぎ捨てた裸の人間(たち)をゆり動かす感動は、男女年齢、国籍、職業などを飛び越してだれにも有効であり、それにより『一体感』『つながっている感じ』などの『共有感覚』を醸成する。」
これで皆さんも理屈においても、また感覚においてもご理解いただけたと思います。
つまりスポーツは、自立した個人が互いに理解、尊重しながら共生する、孤独と不安な社会を生きてゆく上で、心と身体の解放感を通じた,安心感、生きている実感、自信、他者とのつながり、一体感などの「生に対する肯定感を得る社会装置」としての役割を果たすことができるのです。そしてそこからは、互いを知り、理解しようとするコミュニケーションが生まれ、ひいてはスポーツを通じた新たなスポーツコミュニティを創造する契機になりうると思います。
スポーツをこのように捉えてみたとき、現在のスポーツビジネスが「競技を競技ファンに見せる」ことにとどまっていることが、日本のスポーツを、そしてスポーツビジネスを発展させられない根本と思います。しかし明らかに日本社会はスポーツをより多くの人が必要とする方向に向かっています。
そしてそれは音楽や映画などのアートやエンターテイメント全てに言えるでしょう。
いかがでしょうか。じゃ具体的にどうするんだ・・というお話は、またいつか、ということで。
スポーツビジネスの話はこれまで。次回は私個人のスポーツと社会観について、と思っています。
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HIKARU MACHIDA/町田光
NFL JAPAN 代表取締役社長 立命館大学客員教授 早稲田大学講師
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