スポーツが「心や精神の維持装置」、「新しい生活必需品」となりうる社会背景を考えてみます。
前回書いたように現在の日本は「すでに物質的豊かさを達成してしまった社会」にあります。
ということができるでしょう。人類の発展の歴史とは自由を獲得する苦闘の歴史である・・誰か(忘れた)人の言葉
しかしこれは言ってみれば「一人ひとりがバラバラになる時代」です。日本社会をこれまで支えていた共同体のメンタリティや構造が崩壊し、一つの国、地域社会、会社、職場、いや家族ですら「隣のやつが何考えてるか分かんない」状態が常態化(しゃれではない)します。
それは一言でいえば「孤独」の社会です。日本という社会にとって初体験です。
更にいま日本はは「グローバライゼーション」「高度情報化社会」「高度資本主義社会」に同時に突入しています。これはそれぞれ「自分のアイデンティテーが常に問われる」「自分も他の人も、ただの情報、記号化しちゃうむなしさ」「自己責任による勝ち組、負け組の恐怖」社会です。自分と社会との関係が見えにくく(疎外感)、自分自身の存在の価値が実感できない高ストレス社会です。
最近、いろいろなところで「共生」という言葉が出てきます。鳩山由紀夫も言っているし、福田赳夫も言ってました。文科省の教育指針も「多様な個の尊重と共生」です。まんまですね。
これは「価値の異なる人、それぞれがお互いを理解し、尊重し、なんとか共に生きる方法を造り出そう」という意味でしょう。価値観や生き方が異なる人間であっても、理解することはできるだろう。
いや理解し尊重しなければいけないのです。そうすることだけがたぶん「孤独」を感じても、互いが孤立し疎外され、本当にバラバラに解体してしまう社会にならない唯一の方法なのです。
だから「共生」の思想とそれを可能にする、あるいは「共生している状況を維持する」方法が必要なんです。
それは社会システム、政治制度、経済構造、教育、コミュニケーション、などなどありとありあらゆる事が含まれます。
つづく。あと1回。
POSTED BY:
HIKARU MACHIDA/町田光
NFL JAPAN 代表取締役社長 立命館大学客員教授 早稲田大学講師
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