「見るからにアメリカの庶民という感じがするなぁ。」
「元阪神のバースもギター弾くんですね」
「あほぅ〜。ボブ・シーガーじゃ。」
一行目と三行目は私。二行目は、業界のとある若者A君。
この年齢にもなると色んな場面で「立ち向かう」ということが起こります。
この「立ち向かう」ということにおいて人は様々な材料を集め、検討し、
心を決め、そして最後に「立ち向かう日」を迎えます。
しかし私にとって「立ち向かう」ということにおいて大事なのは「その日」ではなく
その事を「決心する日」なのです。そしてその決心する時間帯はその殆どが
深夜であり、一人であり、飲み屋であることが多いです。。。
さて、とあることを決心しなければならない夜に偶然店で耳に入って来た曲
がボブ・シーガーの「Against the Wind」。「I’m still runnin’ Against the wind」
と繰り返して語りかけてくるようなリフレインに後押しされるようにあっさりと
心を決めてしまいました。(決心した内容はここでは触れませんが、他人から
見たら笑ってしまうような内容です。。)
ボブ・シーガーは下積みが長く、ルックスも含めて中産階級の匂いがプンプンします。
すべての彼の歌を知っているわけではないが、彼の歌に描かれる風景は中産階級の人々が
日常生活の中で体験する苦労やささやな幸せと言ったものが多い。
アメリカの平均的な庶民暮らしを代弁しているようでもある。
確かに「ビバリー・ヒルズ・コップ2」の主題歌のビデオクリップ
で彼を見た時はこのクリップ全盛の時代にジーパンに黒っぽい
ジャケットという彼の姿に驚いたものです。それよりも彼らしくない曲に一番驚いたが。
立ち向かうといことは、対する物事からの風を向かいに受け、走り
続けるということだと思います。
映画「フォレスト・ガンプ」。トム・ハンクス扮するフォレストは、身の回りの様々なことを
ふり払うように突然家を出てアメリカ中を走り続けます。そんなシーンのバックで流れている
この「Against the Wind」も、とてもいい使い方だなと映画館で感心したのも記憶に残っています。
まさに広大なアメリカの大地をゆったりと走り続けている風景。
Youtubeなどでも近年の彼のライブ映像をいくつか見ることができますが、風貌は相変わらず
ですが、元気にこの曲を歌っています。そして観客も一緒になって口ずさんでいます。
彼こそがまさに未だに走り続けている姿を見てるからこそこの歌が真実であ
ることを証明しているようでもある。
アメリカの庶民によく訪れるありふたれ風景をふつうの人達のために歌う。
「風に向かって 俺はまだ 走り続けている」
参りました。。。