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HIKARU MACHIDA 町田光
NFL JAPAN 代表取締役社長 立命館大学客員教授 早稲田大学講師
1996年、スポーツファンでもなく、またアメリカンフットボールのプレーどころか観戦経験もなしでいきなりNFL JAPANの代表に就任、現在に至る。 「スポーツビジネスを学ぶことは、人や社会を学ぶこと、自分に出会うこと」をモットーに、大学の超人気講師としても活躍中。

イギ―ポップ&ストゥージズ「ファンハウス」2009.07.07

私の名刺代わりに、一応の専門分野であるスポーツビジネスのことを知ってもらうのが良いのではと思い、これまでスポーツビジネスの社会的価値について書いてみました。
今日はこれに関連して、スポーツとアートの作り出す「感動」について、異なった視点から考えてみます。
実は私はスポーツの作り出す開放感、感動、一体感などに、ある相対的な、やや冷静な認識と感覚を持っています。そしてそれは私自身が愛するロック、映画、などのそれに対しても同じです。ロックフェスティバルで踊りまくり、また映画館の出口で「感動しました!!!」と興奮してる人々。こういう姿になんとも言えない、「これでいいのか?」といういやーな感じを持ってしまうのです。
私自身ロックバンド経験者として、数十回のライブで観客の熱狂を作り出す喜びを経験し、一方で観衆として、イギ―ポップ(最高です!!)の来日コンサートにおいてステージ上に駆け上がるという美しい暴挙を働いた身として、その熱狂、感動は今も変わることはありません。
しかしそれでもそれらの熱狂について「それは単純にいうと脱自の状態、他者との同化の中で生じている、理性を麻痺させるファシズム的熱狂の要素がなくはない」(多木 浩二「スポーツを考える」)という様な冷めた認識を持つことは、絶対にに必要なことではないでしょうか。
もし本当にスポーツやアートを愛し続け、その愛するものの世界観や価値観を共有したいと思い、自分の人生や日常の生活を重ね合わせ、少しでもその高みへ近づきたいと願うならば・・・。
またその社会的な有用性を信じ、その継続や発展に関わろうとするならば。
それは批評性を持つということに他なりません。批評性を持つことは決してその対象への純粋な愛情を失うことではなく、むしろそれを強く持ち続ける力となる、ということは私の人生が証明しています、と言ってしまいます。(こういうことは年取ったやつにだけ言えるんだ、と今気付きました)
「心はいつまでもロック少年」という言葉のうす汚なさ、かっこ悪さ、死んでほしい感じ、解ってない感じ。
感動を、熱狂を、思い出にするな!!。しないためには、その心の奥をのぞき続けるしかないのです。
イギ―ポップ&ストゥージズ「ファンハウス」
ロックのすべてがあり、他の何もないレコード

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HIKARU MACHIDA/町田光
NFL JAPAN 代表取締役社長 立命館大学客員教授 早稲田大学講師

スポーツビジネスにおける「ビジネス」とは何か その32009.07.04

個々人の価値観が尊重され、自由であることが、メンタリティにおいても、また社会の構造や制度においても基本となる成熟社会が、同時に人々の存在がバラバラになり「自己責任」という言葉に象徴される孤独と疎外の高ストレス社会である、ということは、考えてみれば当たり前のことでしょう。
で、スポーツは、このような社会の、どの問題をどのように解決できるのでしょうか。このことはすでに以下の通り、第2回「スポーツとは何か」で書いております。
「人々はスポーツに触れることで人間の本質である動物性と知性の両方をその根底において刺激され、情動が活性化し、非日常の快楽=感動を得ることができる。このいわば社会的な記号を脱ぎ捨てた裸の人間(たち)をゆり動かす感動は、男女年齢、国籍、職業などを飛び越してだれにも有効であり、それにより『一体感』『つながっている感じ』などの『共有感覚』を醸成する。」
これで皆さんも理屈においても、また感覚においてもご理解いただけたと思います。
つまりスポーツは、自立した個人が互いに理解、尊重しながら共生する、孤独と不安な社会を生きてゆく上で、心と身体の解放感を通じた,安心感、生きている実感、自信、他者とのつながり、一体感などの「生に対する肯定感を得る社会装置」としての役割を果たすことができるのです。そしてそこからは、互いを知り、理解しようとするコミュニケーションが生まれ、ひいてはスポーツを通じた新たなスポーツコミュニティを創造する契機になりうると思います。
スポーツをこのように捉えてみたとき、現在のスポーツビジネスが「競技を競技ファンに見せる」ことにとどまっていることが、日本のスポーツを、そしてスポーツビジネスを発展させられない根本と思います。しかし明らかに日本社会はスポーツをより多くの人が必要とする方向に向かっています。
そしてそれは音楽や映画などのアートやエンターテイメント全てに言えるでしょう。
いかがでしょうか。じゃ具体的にどうするんだ・・というお話は、またいつか、ということで。
スポーツビジネスの話はこれまで。次回は私個人のスポーツと社会観について、と思っています。

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HIKARU MACHIDA/町田光
NFL JAPAN 代表取締役社長 立命館大学客員教授 早稲田大学講師

スポーツビジネスにおける「ビジネス」とは何か その22009.07.01

スポーツが「心や精神の維持装置」、「新しい生活必需品」となりうる社会背景を考えてみます。
前回書いたように現在の日本は「すでに物質的豊かさを達成してしまった社会」にあります。
ということができるでしょう。人類の発展の歴史とは自由を獲得する苦闘の歴史である・・誰か(忘れた)人の言葉
しかしこれは言ってみれば「一人ひとりがバラバラになる時代」です。日本社会をこれまで支えていた共同体のメンタリティや構造が崩壊し、一つの国、地域社会、会社、職場、いや家族ですら「隣のやつが何考えてるか分かんない」状態が常態化(しゃれではない)します。
それは一言でいえば「孤独」の社会です。日本という社会にとって初体験です。
更にいま日本はは「グローバライゼーション」「高度情報化社会」「高度資本主義社会」に同時に突入しています。これはそれぞれ「自分のアイデンティテーが常に問われる」「自分も他の人も、ただの情報、記号化しちゃうむなしさ」「自己責任による勝ち組、負け組の恐怖」社会です。自分と社会との関係が見えにくく(疎外感)、自分自身の存在の価値が実感できない高ストレス社会です。
最近、いろいろなところで「共生」という言葉が出てきます。鳩山由紀夫も言っているし、福田赳夫も言ってました。文科省の教育指針も「多様な個の尊重と共生」です。まんまですね。
これは「価値の異なる人、それぞれがお互いを理解し、尊重し、なんとか共に生きる方法を造り出そう」という意味でしょう。価値観や生き方が異なる人間であっても、理解することはできるだろう。
いや理解し尊重しなければいけないのです。そうすることだけがたぶん「孤独」を感じても、互いが孤立し疎外され、本当にバラバラに解体してしまう社会にならない唯一の方法なのです。
だから「共生」の思想とそれを可能にする、あるいは「共生している状況を維持する」方法が必要なんです。
それは社会システム、政治制度、経済構造、教育、コミュニケーション、などなどありとありあらゆる事が含まれます。
つづく。あと1回。

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HIKARU MACHIDA/町田光
NFL JAPAN 代表取締役社長 立命館大学客員教授 早稲田大学講師

スポーツビジネスにおける「ビジネス」とは何か その12009.06.29

今回はじゃあ「スポーツビジネス」の「ビジネス」とは何なんだ、という話です。
これはシンプルです。「ビジネス」とは「問題解決」です。
顧客、マーケット、消費者、等、対象はなんでもいいのですが「商品や、サービスをを通じて、対象が抱える問題や課題を解決する」のがビジネスです。
逆の言い方をすれば「対象が抱える問題や課題を解決することができる、商品やサービスを開発し、提供する」ことがビジネスです。
自動車会社は「楽に早く移動したい」「一度にたくさんのものを運びたい」「運転が簡単だといい」「車はナンパの道具だ」「車は必要だがエコは同じくらい重要だ」「月に3万円以上のローンは払えない」等の様々な消費者の多様な問題や課題を解決する車を作り、販売するからビジネスが成立するわけです。
ではスポーツは誰が顧客で、そのどの問題をどのように解決することができるのでしょうか。
まずスポーツの顧客ですが「すべての人」です。男女、年齢、人種、国籍、宗教、所得階層、などを
問わず、だれもが対象になる、という意味で大きなビジネスの可能性があります。
ただ食品や衣料品、基本的な家電製品、自動車のような生活必需品ではありません。
スポーツがなくても人々は生きてゆけるのです、・・・・といういい方をした時、何か違和感を感じた人がいたでしょう。
スポーツは生活必需品でないのに、でもそれがないと・・・・そう、「生きてる気がしない」「生きている意味がない」と人に感じさせるものなのです。No music no life. No sport no life.
生活必需品とは、いわば人の生命維持、生活維持の商品ですが、スポーツや音楽、映画などは人の「心や精神の維持」の商品と言えるでしょう。そしてすでに物質的豊かさを達成してしまった現在、この「心や精神の維持」の商品は「新しい生活必需品」ともいえる存在になってきています。
以下続く(あと2回)

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HIKARU MACHIDA/町田光
NFL JAPAN 代表取締役社長 立命館大学客員教授 早稲田大学講師

Jリーグの挑戦とNFLの軌跡/スポーツ文化の創造とブランド・マネジメント2009.06.26

今日もスポーツビジネスの続きです。
「スポーツビジネス」という言葉は「スポーツ」と「ビジネス」の2つの単語で成立しています。
ということは、このことを理解するには2つの単語を一つ一つ理解しないといけないですね。
「スポーツとは何か」  あ−、いきなり難しい話になりそう。
・・・・というわけで私が大学の授業や仕事上のプレゼンテーションで使っている整理です。
・人間とは動物である。動物は「身体的(肉体的)存在」であり、そこには種の保存に向けた「暴力」「闘争」が本質的に存在する
・人間とは知性を持つ「知的存在」である。知性が人間を他の動物から区別し、種の保存を可能にし、文明を築いた
・知性は人間社会から暴力的なものを排除し、その代わりに「規則」や「ルール」を生んだ
・スポーツとは、肉体を用いたルールに基づく闘争、でありさらに抽象化すれば「身体を用いたゲーム」であると言える。
人々はスポーツに触れることで人間の本質である動物性と知性の両方をその根底において刺激され、情動が活性化し、非日常の快楽=感動を得ることができる。このいわば社会的な記号を脱ぎ捨てた裸の人間(たち)をゆり動かす感動は、男女年齢、国籍、職業などを飛び越してだれにも有効であり、それにより「一体感」「つながっている感じ」などの「共有感覚」を醸成する。
どうでしょうか。これらは科学的に証明されている、というものではなく、私が、脳科学者の話や、前回紹介した書籍「スポーツを考える」、スポーツ観戦者への聞き取り調査データ、スポーツファンの与太話、などをもとに、いろいろと社会学やらなんやらをまぜこぜにして作り出した作文です。
皆さんも考えてください。
この本は実は私が数年前に共著で出したスポーツに関する初めての本です。超暇な人は是非どうぞ。
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HIKARU MACHIDA/町田光
NFL JAPAN 代表取締役社長 立命館大学客員教授 早稲田大学講師