写真の事をあらゆる角度から書こうと思うのだけれども、
どうも写真技術論なのどの話になると途端に筆が重くなり、
いつも精神論に重点をおいてしまっています。
一例として、
僕は写真家集団Magunmの写真作品を以下のように見て感じて解釈しています。
写真家達の性格や感情をその撮られた背景から、
迷い、愛情、強情などが
「その作品」から文章の行間を読み解くように写真の陰影を透視します。
その透視の課程において作者のメッセージを嗅ぎ出します。
最近、友人とシュールリアリズムの話をする機会がありました。
彼女は大学論文でシュールリアリズムを代表するイヨネスコ、サミュエルベケット、ハルロピンタの3人の共通点を書いたそうです。
勿論「そんなテーマ事態が馬鹿げたタイトルだけれども、非現実の世界に共通点などあるはずもなく当然答えなど無い・・・」と、熱く語るので、でも論文提出は必然なのだから共通点に何と書いたの?と問うと、彼女曰く「3人とも気が小さい」。
目の前にある現実を語る事は誰にでも簡単に説明できるけれども、現実を超越した、非現実の写真を前に語ると、
とたんに見る者の国籍、生活環境により解釈は千変万化する。
だから解釈の答えなんて無いし、その方が魅力的であり、ありきたりな形にはまらずに済むではないかと思うのです。
POSTED BY:
YUSUKE NISHIMURA/西村裕介
フォトグラファー
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