「歌謡曲って、実はとっても奥が深い・・・気がする」
僕がそう感じて、あらためて歌謡曲を聴きだすようになったのは、
20代も後半になってからのことだ。
子どもの頃に流行っていたヒット曲を聴き直すことに始まり、
自分が生まれた時代をさらにさかのぼって、レコードに吹き込まれた
音源が今CDで聴ける限界の昭和初期まで聴き及んでしまった。
ラジオやレコードから大衆に向けた商業音楽が日本で流れはじめたのは
年号が昭和に変わってからのこと。だが平成のヒット曲まで含めると、
歌謡曲の歴史や定義には人それぞれの解釈があることだろう。
僕が「この曲は歌謡曲」と判断するときの指針は、テレビ東京で毎年、
盆暮れに長時間放送される歌番組、「夏祭り&年忘れにっぽんの歌」だ。
この番組で歌われた曲や、出演した歌手の持ち歌であったりすれば、
それは僕のなかで歌謡曲となる。だからマツケンサンバは歌謡曲だし、
将来B’zがこの番組に出れば、出た時点でB’zの曲は全て歌謡曲となる。
趣味で音楽を聴いたり演奏したりする人々との、こんなやりとりで
歌謡曲を測るのも、僕にとっては面白い。
「歌謡曲は好きですか?」
「いや、歌謡曲は嫌い」
「たとえばどんな歌手のどんな曲?」
嫌いと答えた人から具体的に出てきた曲こそ、ド真ん中の歌謡曲だ。
クラシック、ジャズ、ロック、自分の聴くジャンルにこだわりを持って
いる音楽愛好家、ミュージシャンに、なぜか歌謡曲は敬遠される。
フォークやニューミュージックの世界でさえも、そのブームのさなかには
アーティストやリスナーから一線を引かれた音楽、それが歌謡曲だ。
ところが歌謡曲は、時の流れとともに、それらを「懐メロ」の名のもとに
ジャンルを超えて自分のなかに取り込んでいく。
どこからどこまでが歌謡曲か、
いつからいつまでが歌謡曲か、
現時点での歌謡曲の線引きなど、意味のないことかもしれない。
だけど、僕は歌謡曲が好きだ。それだけは間違いない。
ある時期多くの日本人の心をつかんで一世を風靡した歌、
時代をこえて日本人に歌い継がれていく歌、
時代に取り残されて存在価値をなくし忘れ去られていく歌。
そんな歌たちへの興味が愛着に変わり、その魅力を言葉にしてみるつもりが
とんだ前置きになってしまった。
今度からはひとつずつ歌手や曲を選んで、僕なりの歌謡曲の楽しみかたを
紹介してみたいと思います。
最後に、歌謡曲の第一人者であり、僕と違って歌謡曲について明確な基準を
持っている作詞家・阿久悠氏の著書を、今回は導入がわりにご紹介します。