ピンク・レディーのデビュー曲として「ペッパー警部」が世に出たのは1976年。
テレビの歌番組の影響が今よりずっと大きかった当時の小学生なら、
きっと一度は口ずさんだり振り付けをマネしたんじゃなかろうか。
その頃の僕もやはり、テレビで流行っていて、踊りが面白くて、
歌が覚えやすい曲にすぐさま食らいつく低学年の小学生だった。
それから30年以上経った。僕は大人になり、時代は移り変わり、
ヒット曲は30年前のヒット曲になった。
あらためて今、この曲を聴くと、小学校低学年の児童が受ける印象とは、
想像力のかきたてられかたが違ってくる。
ある娘が言うのである。いい年頃の娘である。
警察官の中でも20人に1人しかいない、そんな階級の警部に向かって言うのである。
「私たちこれからいいところなんだから、邪魔しないでよ」
都会の暮れかかる公園だろうか。娘は男から甘い言葉を注射のように射され、
連発銃のように「愛している」という台詞を打ち込まれているのだ。
そんな状況を、通りかかった警部は「貞節の危機」ととらえた。
視界に入った「乙女のピンチ」を、警部にもなれば黙って見過ごす訳にもいかないのだ。
しかし娘は、声をかけたそんな警部の親心を「無粋」と突っぱねたのである。
「これからいいところなのに」なんて、娘は言うのである。
「よろしくやっている」とか「しっぽりやっている」とか言われたも同然だ。小娘に。
「この、ペッパー警部!」とまで言い捨てられた、警部の心中はいかばかりであったか。
(ペ?ペッパー警部?ペッパー警部って・・・「若いお巡りさん」ならまだしも、
きちんと手帳を呈示し、やんごとなき身分まで明かしたこの私にむかってペッパー・・・)
想像できる!
小学校低学年の児童では到底想像できまいて!
僕はこの、胡椒呼ばわりされた警部の気持ちになって考えることができるほど、歳をとったのだ!
生まれてこのかた、警部という肩書きの警察官にはお目にかかったことはないが!
さて、警部は責任ある一警察官としてこれからこの状況をどう対処するのか、
この跳ねっ返りな娘の貞節はその後どうなったか、というところで歌は終わってしまう。
「いいところ」でエンディングなのである。
話の佳境まで踊り続けたピンク・レディーは突然「ペッパー警部よ!」とポーズを決め、
笑顔をつくって話を締めてしまうのだ。
こんなことがあっていいものだろうか。こんな歌があっていいのか。
大体からして名前が「ピンク・レディー」、直訳で「桃色婦人」とは何事か。
「モーニング娘。」なんて奇妙な名のグループが跋扈する平成の御代ならともかく、
時代は昭和、今から30年以上も昔に、この二人組、そしてこの曲。
この企画を考え、世に送り出した大人は、一体何を考えていたのか。
だが立場を逆転し、この曲の企画制作者(阿久悠や都倉俊一)になったつもりで
現在の歳の自分が、あの時代に新人歌手「ピンク・レディー」を世に送り出す事を考えると、
途端にゾクゾクする。ワクワクする。
レコード会社やプロダクションにかなりの投資をさせた、この大いなる賭けでもある
「大人の遊び」は、果たして大衆に受け入れられるだろうか?誹られるだろうか?
ピンク・レディーは、大人になった僕にも想像の楽しみを与えてくれる、歌謡界の宝石箱だ。
RITO MIURA/三浦鯉登
作曲家・ミュージシャン・昭和歌謡研究家
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