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御堂筋で炸裂!日本語を超えたシンガー「欧陽菲菲」2010.02.16

欧陽菲菲には苦い想い出がある。

採点つきカラオケで「ラブ・イズ・オーヴァー」を歌った時のことである。
思いっきり歌の世界に入り込んで、歌マネもせず、自分なりに歌いきった結果、
メロディを教科書通りに歌わなかったのが災いしてひどい点数が出たのである。
「全くこの機械は歌心というものをわかっていない!」
自分の歌唱力を棚に上げて、カラオケマシンに恥をかかされ憤慨したあの日。

それから10何年、紙ジャケ仕様で再発された彼女のアルバムをじっくり聴き終えて、
光り輝くその歌唱力を再発見した時、僕は遅まきながらやっと気がついたのである。
あのカラオケマシンの採点に、決して間違いはなかったのだ、と。

僕がそうであったように、歌謡曲に親しみのある世代でさえも、欧陽菲菲の歌は
「ラブ・イズ・オーヴァー」「雨の御堂筋」あたりの曲をテレビで「見た」程度と
いう方がきっと多いことだろう。
バラエティー番組で垣間見せる、楽しいキャラクターと台湾なまりの日本語トーク。
その印象に邪魔されて、彼女の歌を本腰を入れて聴く姿勢をこれまで持ち得なかった、
というのが僕の正直なところである。

彼女の歌う日本語には、ネイティブ・スピーカーでないゆえのちょっとした癖がある。
それを面白がって、日本人はよく彼女のマネをした。僕も子どもの頃マネをした記憶が
ある。森進一の「おふくろさん」と同じで、一度モノマネの対象になると、その歌の
メッセージや歌手の本質に鈍感になってしまう。僕がその呪縛から払拭されたのは、
物事をいろいろな側面から見る事ができる、いい歳の大人になってからだ。

欧陽菲菲は出身地、台湾でも人気の歌手だった。(現在においては国民的歌手だ)
日本のプロダクションに見いだされ来日。
1971年のデビュー曲「雨の御堂筋」が大ヒット。その年のレコード大賞新人賞を受賞。
翌年には紅白歌合戦に出場。何と、紅白史上初めて出場した「外国人歌手」なのだ。

今でこそ日本人より演歌がうまいジェロが存在するが、当時、ちゃんとした日本語で
ここまで歌謡曲を歌える外国人歌手などいなかったのである。少々発音に癖があろうと、
そこに文句をつける筋合いがあるだろうか。

しかも台湾から海を渡ってきた歌手に「こぬか雨降る御堂筋」って・・・
もし自分が台湾に歌手として連れてこられて、台湾の音楽プロデューサーに
「高雄の六合二路に雨が降ってるのを想像しながら情感込めて台湾語で台湾歌謡を歌え」
なんて言われたら、果敢に挑戦するどころか、こぬか雨降る台北で傘もささずに泣き濡れて、
財団法人交流協会の事務所(=日本大使館)に身を寄せるであろう。
それくらいアウェーだ。この上ない逆境だ。

しかし菲菲は台湾魂でやり遂げた。異国の心を歌いきった。そして大ヒット。
作曲がベンチャーズでありながら何故か大阪情緒あふれる、湿度の高いご当地ソングが
70年代歌謡を代表する大流行歌として今に残るまでには、日本の農家に嫁いだ外国人妻に
匹敵するような、そんな苦労克服物語が隠されている。

と想像する。
本人にも関係者にも聞いてないからあくまで想像よ。

さあ本題、今回とりあげるのはそんな欧陽菲菲の大ヒットデビュー曲が1曲目に収録された
アルバム「雨の御堂筋」。
ビートルズがそうであったように、まだ持ち歌の少ない新人歌手のアルバムらしく、
当時歌謡曲として流行った他の歌手のヒット曲、そして洋楽の当時のヒット曲が、彼女の歌で
カバーされている。
尾崎紀世彦、朝丘雪路、布施明、アダモ、ダスティー・スプリングフィールド、
ジョー・ダッサン、エンゲルトベルト・フンパーデンク・・・
ヒットして間もない、これら素晴らしい歌手たちの名曲を、デビュー間もない欧陽菲菲が
歌う。本人の母国語一切なし。日本語と英語のハンディを背負って歌う。

それがあなた、聴いたらもう、ハンディとか全て吹っ飛ぶくらい、歌がうまいんですよ。
日本の歌謡曲って、捨てられただのあなたを待つのだの、その世界観が「か弱い女性目線」で
描かれたものが多く、歌詞だけ追ってるとジトーっと湿気を感じるのですが、彼女の歌声には
その世界観をパワフルな乾燥機で一気に乾かしてくれるくらいの力があります。
だから今聴いても新鮮。歌謡曲に馴染みがなくてもジャンルを超えて歌が届く。

いや、こりゃもう放っておけないわ。台湾の人気だけで終わらせるのが非常に惜しい歌手だ。
無理な日本語になっても、この歌唱力を日本人にも紹介したい、と当時のプロデューサが
思うのも無理はないですね。しかも、日本語の発音も9割がたマスターしていて、
聴いてて違和感を感じないですよ。もうカバーした原曲を凌駕するくらいの圧倒的な歌唱力。

近年、懐メロ番組でお見受けする、往年のティナ・ターナーばりのロックシンガーと化した
彼女の姿もセクシーで素敵ですが、まずは、デビュー当時のこの衝撃のアルバムを
聴いてほしい。まさに台湾の至宝、いやいや日本の歌謡曲界の至宝?
そんなこともうどっちでも良くなる、素晴らしい歌手の記録的名盤です。

ちなみに、ボーナストラックには、その後の彼女のヒット曲も収録されていて、
さながらベスト盤としても楽しめるお得な内容となってます。

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RITO MIURA/三浦鯉登
作曲家・ミュージシャン・昭和歌謡研究家

決心する日2010.02.08

「見るからにアメリカの庶民という感じがするなぁ。」
「元阪神のバースもギター弾くんですね」
「あほぅ〜。ボブ・シーガーじゃ。」

一行目と三行目は私。二行目は、業界のとある若者A君。

この年齢にもなると色んな場面で「立ち向かう」ということが起こります。
この「立ち向かう」ということにおいて人は様々な材料を集め、検討し、
心を決め、そして最後に「立ち向かう日」を迎えます。

しかし私にとって「立ち向かう」ということにおいて大事なのは「その日」ではなく
その事を「決心する日」なのです。そしてその決心する時間帯はその殆どが
深夜であり、一人であり、飲み屋であることが多いです。。。

さて、とあることを決心しなければならない夜に偶然店で耳に入って来た曲
がボブ・シーガーの「Against the Wind」。「I’m still runnin’ Against the wind」
と繰り返して語りかけてくるようなリフレインに後押しされるようにあっさりと
心を決めてしまいました。(決心した内容はここでは触れませんが、他人から
見たら笑ってしまうような内容です。。)

ボブ・シーガーは下積みが長く、ルックスも含めて中産階級の匂いがプンプンします。
すべての彼の歌を知っているわけではないが、彼の歌に描かれる風景は中産階級の人々が
日常生活の中で体験する苦労やささやな幸せと言ったものが多い。
アメリカの平均的な庶民暮らしを代弁しているようでもある。
確かに「ビバリー・ヒルズ・コップ2」の主題歌のビデオクリップ
で彼を見た時はこのクリップ全盛の時代にジーパンに黒っぽい
ジャケットという彼の姿に驚いたものです。それよりも彼らしくない曲に一番驚いたが。

立ち向かうといことは、対する物事からの風を向かいに受け、走り
続けるということだと思います。

映画「フォレスト・ガンプ」。トム・ハンクス扮するフォレストは、身の回りの様々なことを
ふり払うように突然家を出てアメリカ中を走り続けます。そんなシーンのバックで流れている
この「Against the Wind」も、とてもいい使い方だなと映画館で感心したのも記憶に残っています。

まさに広大なアメリカの大地をゆったりと走り続けている風景。

Youtubeなどでも近年の彼のライブ映像をいくつか見ることができますが、風貌は相変わらず
ですが、元気にこの曲を歌っています。そして観客も一緒になって口ずさんでいます。

彼こそがまさに未だに走り続けている姿を見てるからこそこの歌が真実であ
ることを証明しているようでもある。
アメリカの庶民によく訪れるありふたれ風景をふつうの人達のために歌う。

「風に向かって 俺はまだ 走り続けている」

参りました。。。

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HIDESHI OKI/沖秀史
株式会社USEN 音楽番組制作部長