「中島みゆき」と言えば「夜会」を思い出す方が多いと思う。
「中島みゆき」の、ただのコンサート以上のステージを演出する、というコンセプトは、「夜会」が初めてではない。
かつて両国国技館でライブ・レコーディングをメインの目的とした、「歌暦」というコンサートを行った。
’86年12月18日から21日までの4日連続で国技館を満席にした。
コンサートの模様は、本番前のリハーサルも含め、全てマルチ・トラックでレコーディングされた。
演奏もコンサートとしての見栄えよりも、レコーディングとしてのクオリティーに重きが置かれた。
プレヤーは当時(そして今現在でも)売れっ子のスタジオ・ミュージシャン連中。楽器や機材も音質重視のレコーディング仕様。ギタリストは曲ごとに音色を変えるために、7本ものギターにかこまれ、曲ごとのローテーションに従い、次々とかつぎ変える。
「打ち込み」がメインの曲ためには、「打ち込みネタ」を再生するためのマルチ・トラック・レコーダーがスタンバイしている。都合3台のマルチ・トラック・レコーダーが使用された。当時の山下達郎バンドのギタリストであり、著名なアレンジャーである、椎名和夫氏が総合プロデュースをした。
コンサート終了後のクリスマスの日、都内にある「一口坂スタジオ」のロビーでクリスマス・ケーキを囲んで、ささやかなパーティーが開かれた。
「中島みゆき」とそのスタッフが、「歌暦」の最終仕上げである、ミックスを行っていたのだ。
私は同じ日に隣のスタジオで新人のアイドル女性シンガーのレコーディングをしていた。その後、私の「代表作」といわれる事になるシンガーの「夢の終わり」という曲である…。
ちなみに、「中島みゆき/歌暦(’86)」のギタリストは椎名氏と私である。