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YUKICHI OTSUKA 大塚雄吉
F1 ウォッチャー
幼少期にF1に魅せられ、50年以上にわたって、日本製のF1が出ていなくても、日本人F1ドライバーがいなくても50年以上にわたってF1を見続けてきた、F1 ウォッチャー。

Formula One(12)2010 / 10 / 22

可夢偉はすごい。
今シーズンの可夢偉は決勝レースに合わせたマシンセッティングと巧みなタイヤマネジメントで戦闘力の劣るザウバーを何度も入賞させてきた。
昨シーズン終盤に出場した2戦のアグレッシブな走りとは対照的だ。
この1点を見ても、目標に到達するために必要なことは何かを知っているドライバーだということが分かる。
終盤の2戦だけF1をドライブするチャンスをもらった去年は今年のシートを手に入れるためにたった2戦の間に自分の速さをアッピールする必要があった。
F1のレギュラーシートを手に入れた今年は与えられたマシンで出来るだけポイントを上げ、より速いマシンのシートを手に入れるためのチャンスを拡げようとしている。
ところが、可夢偉は鈴鹿でバレンシア以来のセンセーショナルな走りを披露した。
しかも極めて冷静にヘアピンで5回のパッシングをやってのけたのだ。
名手バリチェロを抜いたときは進入でアウト側からブレーキングを遅らせながら通常より鋭角的にインに切り込み頂点で前にでた。
アルグエルスアリの場合は、1回目は立ち上がりのイン側を突いて抜き、2回目は当然相手がインをブロックしてくるのでアウト側に立ち上がり抜いた。

というふうに書くと、いとも簡単なようだが、もっと下のカテゴリーでも鈴鹿のヘヤピンで抜くのは難しい。
カートならタイトコーナーでのパッシングはよく見られるが、可夢偉が乗っているのはF1で相手はF1ドライバー達だ。

1964年のホンダの挑戦から始まった日本のF1の歴史も46年経ってようやくここまで来た。
第1期ホンダF1の監督であった中村良夫はその当時からF1はマシンだけでなくドライバーが重要だと言っていた。
その当時、ヨーロッパで通用する唯一の日本人ドライバーは生沢徹であったが、中村は生沢を側面支援するもののホンダF1には乗せなかった。
その生沢が日本に帰って作ったF2チームで起用したドライバーが中島悟である。

鈴木亜久里は日本GPで3位に入り、F1チームのオーナーにまでなった。
片山右京はなかなかマシンに恵まれず結果を残せなかったが、遅いマシンを極端なレイト・ブレーキングで走らせイタリアの記者達からは高く評価されていた。
その後、ホンダとトヨタが若手日本人F1ドライバーの育成に力を入れた結果、佐藤琢磨と小林可夢偉というF1界で注目されるドライバーが育った。
その中でも可夢偉は巧さと速さと強さを持ちF1チャンピオンにまで上り詰めるポテンシャルを持ったドライバーだと思う。

今週は2010年が初開催の韓国GPだ。
ヨンガムは朝鮮半島南西端に位置する長いストレートと連続するコーナーのセクションに分かれたコースだ。
どのチームもドライバーも始めてのコースなのでマシン・セットアップのはまり具合でいつもとは違った予選結果になる可能性が高い。
バトンとハミルトンはここで表彰台に登れないとチャンピオン争いから脱落する。
フェッテルはここでも優勝の最有力候補だ。
アロンソも優勝しないとポイントでウエバーを逆転できない。
クビサもそろそろ運が向いてきそうだ。
泣いても笑ってもここを入れてあと3戦、地球の反対側へ飛ぶ前に優勝がほしい。
2010 ©Yukichi Otsuka, All Rights Reserved

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YUKICHI OTSUKA/大塚雄吉
学会ネット株式会社 代表

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