Archive for 8 月, 2009

正直言って人とかかわるのはしんどい。

寅さんの映画の世界みたいに「いい人」ばかりの世界ならともかく、
近年の日本はどうにも殺気立ってるし、コミニケーションは楽じゃない。
とは言っても個室にこもって生きるわけにもいかない。

その上、人付き合いの上手い人は、最新情報と人脈を手に入れて、
どんどん人生を有利に進めていくようにも見える。
どっちにしても人間をやる以上は人とかかわらなければいけない。
そんな僕が5年に渡る無謀な初対面対談で学んだ集大成の第二弾が
この「キラー・クエスチョン」です。

僕は絶望に効くクスリという対談漫画を5年間やってきて、
この時代に効く薬は何かをずっと考えてきました。
そこで見つけた単純にして最強の方法が「聞く」ということでした。

この本には
5年間で掴んだ最強のキラー・クエスチョン26の具体例が載っています。

質問力の本は多いけど、
「これをそのまま使えばいい」という本はないんじゃないかと思うのです。
あと、思ったより評判が良かったのが「話の広げ方」という
具体的なスキルが載っていることです。
これは僕が普段無意識にやっている話の広げ方のテクを解説したもので、
これもまた使えます。

僕は近代化によって失ってしまった最大のものが
「人と人とのつながり」だと思うのです。
もてたい人。話が下手な人。最初の一言が出ない人。

この本を読んでみて下さい。読んですぐ「使える」本です。

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REIJI YAMADA/山田玲司
漫画家 環境問題活動家

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蝉時雨を背中に浴びながら、森の地面を注意深くある物を探して歩いていた。

普段は上の方を注視しながら歩き回るのだが、地面を見て歩き回るのである。

ある方が「森の底を読む」と表現していたが、まさに言い得て妙である。這い蹲るように探していたある物とは、蝉をホスト(宿主)するツクツクボウシタケの冬虫夏草。

探してみると意外に多く見つかるもので、その中からセミの形が多少なりとも解る物を選び角度を変えて撮影。それから約2時間後、蝉時雨に加われなかった物たちに思いを馳せここを後にした。

ちなみに、
冬虫夏草は漢方薬、アガリスクなどで有名だが、元々はチベットのコウモリガの幼虫を指すそうである。しかし今は昆虫などから出るキノコを総称として冬虫夏草と呼ぶとのこと。

【この時の撮影技法】
スコップで約5㎝の冬虫夏草を注意深く掘り出し、地中の状況が解るように作業を行う。

掘り終えたら地面にお手製カメラ用座布団(約20㎝×20㎝中身は小豆)。を地面に敷き、その上にカメラを置いて角度を自由に固定する。冬虫夏草と環境を取り入れるために8ミリ魚眼レンズをチョイス。ただしこのレンズはカメラの撮像素子1.6倍でも四隅がケラレてしまうので1.5Xテレコンをボディーとレンズの間にかませる。

その結果テレコン使用により冬虫夏草約5センチまで接近可能となる。しかし被写界深度の深い魚眼レンズでも接写ではピントが浅くなるので絞り込みが必要となる。

絞り込み過ぎによる「回折現象」を避けるためF11まで絞り込む。背景の絞りF11が決まったら主題の冬虫夏草の露出を計る。計測結果、約2絞りほど露出アンダーであったのでストロボ光で主題の露出をコントロールする。

【外付けストロボのコツ】
レンズと冬虫夏草の間隔が近すぎるため(約5㎝)レンズが邪魔をしてカメラ内蔵のストロボ光が冬虫夏草に届かない。そこで超小型のサンパックPF20XDストロボ1灯を改造拡散板(半透明のフイルムケースを半分に切りストロボ発光窓にテープで貼り付ける)で光を柔らかくする。

3秒の露光中に手持ちストロボのテストボタンを押し、左から1回、右から1回の合計2回発光させ光のコントロールを行う。

このように露光時間3秒あれば外部ストロボを福数回発光可能となる。従って動かない被写体の場合、手持ちストロボはあらゆる角度から福数回の発光が可能となるのである。

【カメラ設定】
露出設定マニュアル、シャッタースピード3秒,絞りF11、ISO 200

【使用機材】
デジタル一眼レフカメラ、8ミリ魚眼レンズ+1.5Xテレコン、カメラの座布団(地面に敷きその上にカメラを置いて角度を自由に固定するためのお手製座布団、中身は小豆を入れています)、サンパックPF20XDストロボ1灯、園芸用スコップ。

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TSUGIO NISHIMURA/西村次雄
写真家

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世界的な時差はあるにせよ、ティーンエイジャーの無防備な、ナイーブなエネルギーが作りだした60年代の革命幻想も、70年代中ごろに入ると次第にゆるゆるの普通の日常の風景の中に埋没してゆきました。音楽においても、あの思い出したくもない「低能サタデーナイトフィーバー」と、「馬鹿スタジアムロック」という「消費者として十分に飼いならされたティーンエイジャー」ばっかり、という状況になってきました。

 そんな時突然やってきたのが「PUNK」です。ニューヨークとロンドン両方からやってきたこの新しい波ですが、私はロンドンというかイギリスのほうに夢中になりました。1977年の初めのころと思いますが、Sex Pistolsのことを最初に知ったのは朝日新聞(と思う)の写真入りの記事でした。

「今ロンドンでパンクロックが人気。すべてに対して怒りをぶつけ、何も信じない若者たち。髪の毛を短く乱雑に切って、色を染め、Tシャツをぼろぼろにして、安全ピンをピアスにしている」みたいな内容だったと思います。それを読んだ時実はすごく嫌な感じがしたのを覚えています。「なんだよ、今更ストレートな怒りを表現したり、反体制の不良ぶったり、そんなことで何かが変わると思ってんの。馬鹿じゃん。」という屈折した感覚でした。

しばらくして、よく通っていたイギリスのトラディショナルフォークやプログレッシブロックを扱っていたレコード屋の隅に見たことのない変な、でもやけにカッコイイジャケットのレコードが置いてあって、それがSex Pistolsのこのアルバムでした。とにかく、見たことないデザイン、でも強烈な光を放っていて、あのいやな印象がありながら、結局買いました。そして家で聞いてみたら、もう何もかも全てが分かりました!って感じでした。不良がどうのこうのとか、ロックンロールの復権とか、全然筋違いの、本当に新しい、新しい人類が出現した、とでも言いたくなるような、すごい、かっこいい音でした。

直感的に感じたのは、まさにこの「新しさ」なんですが、その新しさとは「社会や歴史から切り離されている」スカスカした感じです。
その頃はこのことをうまく言えなかったんですが、今ならこう表現できるでしょう。
つまりロックが「反体制」だったのに対して、PUNKは「脱体制、脱社会」。もう反対すらしない。それも無効。社会の底が抜けた感じ。
「俺はほとんど空っぽ」「手に入れ方は知っているが、何がほしいのか分からない」という歌詞、にそのことがよく表れています。

この後、BUZZCOCKS,ADVERTS,WIREなどのPUNKから、80年代に入っての「NEW WAVE」に至る「脱社会的存在となった大量のティーンエイジャーが音楽、映画、文学、ファッションなどで猛威をふるう」、つまり今に至る時代が続いたという気がします。

SEX PISTOLSのジョニーロットンが「ロックは死んだ」と言ったのは有名ですが、それはこういうことなんだと思います。またジョンレノンが殺された時多くの人が「悲しい」「怒りを覚える」「時代が終わった」などの感傷的な言葉を口にする中、彼は顔をしかめて「何も変わんないさ」と言ったのが印象的でした。

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HIKARU MACHIDA/町田光
NFL JAPAN 代表取締役社長 立命館大学客員教授 早稲田大学講師

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